ドリトル先生は差別図書か?それは、「ドリトル先生の日本語訳本は、黒人差別および、 その他の差別用語を含む。 これを児童にすすめるのはよくないので回収せよ。」 という、黒人差別反対団体の再三の要望に対し、出版側が、 「巻末に読者への断り書きを入れて対処する」というもの。 <平成14年2月4日朝日新聞朝刊より> 以前、同じような理由で「ちびくろサンボ」がなくなった。 確かに、現在差別用語として認定されている言葉が書いてある。 蔑視の意味を含む「ニガー」<Nigger・Negro=黒人(あえてこう 書かせていただきます)を指す>、また、知覚障害者をあらわしていた 言葉「めくら」、などである。 しかし、考えてみて欲しいのは、子供の頃、それらの本を読んで、 果たして、子供心に「差別」というものを、物語から読み取れたであろうか。 大人が読めば、それは差別図書かもしれない。 でも、子供はそのままの形で受け止め、それが差別用語であると考えて 読んでいるのか。 それを読んで、実際に黒人を、からだの不自由な人を差別するのか。 それを読んで、差別と言うものを学ぶこともない。 ただ純粋に、その物語のストーリーを楽しむだけなのではないだろうか。 また、その作品がかかれた時代、訳された時代を考えれば、まだその 「差別用語」が「差別用語」ではなかった時代である。 作者が、訳者が、その言葉を「差別用語」とわかっていれば、また、 今健在の作家であるのなら、使わないはずだ。 それを思えば、回収などする必要もないだろうし、どうしてもというのなら、 その部分だけを新訳すればいい。 でなければ、その本は、「井伏鱒二氏によって、その時代に訳された」という 歴史と、オリジナリティをも失ってしまうのではないか。 私から見たら、その黒人差別反対団体のほうが、より差別にこだわり、 違った意味で差別しているように感じる。 世界に歴史があるのと同じように、言葉にも、出版された本にも、 歴史はあるのだから。 |